| 鳥語り 露草うづら |
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9月上旬、初めて佐渡を訪れた。仕事で新潟出張が決まり、佐渡が目の前だとわかると、脳内を朱鷺が舞ってしまうのが愛鳥家の習性だ。せっかくなので、代休をくっつけて佐渡に足を延ばすことにした。調べてみると佐渡は広い。東京23区の1.5倍ほどの面積で、島内の公共交通機関は路線バスのみ。見どころは多いが点在している。今回は時間が限られるため、朱鷺を見ること以外は欲張らないと決めた。 昼過ぎのフェリーで佐渡の両津港に着くと、荷物をロッカーに預け、美味しそうな佐渡のお米のおにぎりを急いで買い、路線バスで「トキの森公園」に向かった。公園内の「トキ資料展示館」では、朱鷺の歴史、日本産朱鷺の絶滅から日中両国の努力による保護増殖と野生復帰の取り組みを学んだ。特に、佐渡の愛鳥家の宇治金太郎さんと最後の日本産朱鷺「キン」の交流、保護政策のため自分に懐いていた野生のキンを捕獲せねばならなかった宇治さんの葛藤と後悔の逸話は、胸中に様々な感情が渦巻き、涙なしには読み進められなかった。隣接する「トキふれあいプラザ」では、飼育下の朱鷺をガラス越し数センチの距離で観察した。朱鷺は警戒心が強く、野外の観察時は150メートル以上の距離を保つ必要があるため、間近に見られる機会は非常に貴重だ。特殊なガラスで、こちらの姿は朱鷺には見えないらしい。夕方の給餌の時間が来て、朱鷺が餌のドジョウを勢いよく食べる様子に心躍った。他の来館者が来ては去る中、私は2時間近く居座って朱鷺を眺めていた。 滞在を満喫した結果、公園内からのバスの最終便を逃したので、次に近いバス停まで田んぼ道を2キロほど歩いた。佐渡の野生下の朱鷺の数は、2024年12月時点の推定で576羽だという。それだけいればどこかで出くわすかもしれない。佐渡では稲刈りシーズンが始まっており、一部の田は刈り取りが済んでいた。朱鷺がいるとしたら、採餌しやすい刈田だろう。目を凝らしていると、翼の大きな白い鳥が飛んできた。これは……おそらく中鷺だ。遠目で細部はわからずとも、飛ぶときに首を縮めていて脚が長いのが鷺類、首を伸ばしていて足が短いのが朱鷺と判別できる。次いで進行方向5百メートルほど先の刈田に青鷺が降り、そこへ違う形の鳥も飛んできた。望遠カメラで撮影して拡大すると、米粒のようだが、ほんのり桃色だ。これは朱鷺に違いない!逸る心を抑え、何より朱鷺を驚かせないよう、慎重に歩を進めた。朱鷺は刈田の一番奥に降りたため、私のいる道路から150メートル以上は距離がある。しばらく、静かに観察させてもらうことにした。よく見ると、朱鷺が3羽、中鷺と青鷺が1羽ずついる。朱鷺は「鷺」の字が付くものの、ペリカン目トキ科トキ属で、サギ科ではない。餌場が似ているため、同じ場所にいることが多いようだ。あまり動かない鷺たちに対し、朱鷺たちは刈田の土にせっせと嘴を突っ込んで餌をとっていた。自然の中でたくましく生きる朱鷺の姿はやはり良い。後で知ったが、この辺りの田は朱鷺に優しい減農薬・減肥で米作りを行っているという。現代において朱鷺と人間が共生するためには、人間の歩み寄りが必要なのだ。 朱鷺の放鳥は佐渡のみで行ってきたが、佐渡の朱鷺が安定的に増えていることなどから、今後は本州中心で行われるらしい。2026年には、本州初の朱鷺の放鳥が石川県で予定されている。朱鷺が日本各地の空を再び舞う日は来るのだろうか。佐渡の人々の朱鷺との共生にかける熱意と努力を思えば、簡単な道のりではないことが想像できる |
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私は毎日空飛ぶ宝石を見ている。今回はその自慢話をしたいと思う。 バードウォッチャーは大抵、「マイフィールド」を持っている。足繁く通い定点観察をするところと言えば伝わるだろうか。私の最愛のマイフィールドは、自宅の目の前、玄関を出て十歩で到着する小川だ。町田市内の湧水を水源とし、都市河川でありながら、オイカワやハグロトンボなど清流の生き物も棲息する水質で、野鳥にとっても過ごしやすい水場であり、格好の餌場となっている。カルガモ、アオサギ、コサギ、カワウといった水鳥のほか、セキレイ類、カラ類などを多種観察でき、季節ごとに渡り鳥も多く飛来する。 恵まれた環境だが身近な種が中心のこのフィールドで、花形と言えるのが翡翠(かわせみ)だ。鮮やかな羽の色、光の当たり具合によってコバルトブルーやエメラルドグリーンなどにきらきらと表情を変える美しさから「空飛ぶ宝石」と呼ばれkingfisherの英名を持つ魚獲りの名手でもある。マイフィールドで最もよく出会う鳥のひとつとして、私は毎日のようにこの宝石を見ることができる。何気なく散歩をしているだけでも、多い時には山手線のダイヤくらいの頻度で目の前を通過するのだから、かなりの数が生息しているのだろう。私には見分けがつかないが、翡翠を目当てに巨大な望遠レンズを担ぎ日参するカメラマンたちは個体の識別ができるようで、よく見かける個体に愛称を付けている。川沿いの遊歩道から川面までの高さは五~六メートル程度。コンクリートの護岸のため人が下りられない箇所が多く、鳥たちは安心しているのか、近距離でも警戒されにくい。全国でも屈指の知る人ぞ知る翡翠観察スポットだと思われる。 以前、遠方から友人が訪ねてきたことがあった。上京のついでに、私がいつも自慢しているマイフィールドの翡翠を見てみたいという。鳥は期待した時に限って現れないので、内心ひやひやしたが、川に着いた途端に翡翠が一羽すーっと飛んできて、目の前の枝に止まってくれた。安堵した私は「これがウェルカム翡翠です」などと言いながら、ネイチャーガイドの気分で友を案内した。小一時間の間に翡翠が何度も目の前を飛び交い、時には枝にとまって水面を凝視、ホバリングからダイブして魚を獲るなど、様々な行動をじっくりと観察できた。「一生分の翡翠を見た」という友の言葉に、ガイドの面目躍如と嬉しく思ったものだ。 マイフィールドでは、三月頃から翡翠の恋の季節が始まる。この時期は追いかけっこに拍車がかかり、雄が雌に熱心に魚を献上する求愛給餌が行われるので、ラッシュ時の山手線並みの出現頻度となる。自宅の窓を開けていると「キキーッ!」という自転車のブレーキ音に似た鳴き声や、「ピッ!ピッ!」とパートナーを求め甘く鳴き交わす声が賑やかに飛び込んでくる。五月下旬の今頃は子育て真っ盛りだ。営巣地は、少し離れた崖地にあるらしい。もう少し待てば、親鳥と巣立ちした幼鳥たちが連れ立ってマイフィールドに戻ってくるはずだ。幼鳥は全身の色味がくすんでおり、嘴もまだ短く、いかにも子どもらしいが、食欲旺盛だ。翡翠は巣立ち後もしばらくは親が子に給餌するため、親がせっせと運んできた魚を無心に食べる様子が微笑ましい。そのうち親はねだられても餌を与えなくなり、幼鳥たちは自ら川に飛び込み狩りをするようになる。次世代のkingfisherの誕生だ。こうして連綿と続く命の営みを見守り続けられるのが、マイフィールドを持ち定点観察をする楽しみと言えよう。 |
正月はいつも二日に静岡の実家へ帰省する。年末から先乗りしているきょうだいが年用意を万全にしてくれるので、遅れて帰る私にはたいした役目は残されていない。暇を持て余した四日の朝、晴天に誘われふと庭に出てみた。すると、足元に小さな羽根が落ちているのが目に入った。長さ二・五センチ、幅一・五センチほどで、灰色のふわふわした羽毛と白い羽根、先端に帯状の黒い模様が入っている。翼ではなく胴体のどこかから落ちたと思われる小さな羽根だ。日頃から野鳥観察の折に色々な鳥の羽根を見かけるが、この羽根の特徴には見覚えがなかった。拾い上げて手のひらに乗せると、とても軽く、微かな風にも簡単に飛ばされてしまう。逃げてゆく羽根を追いかけて拾い、今度は慎重に風を防ぎながら、なんとか写真に収めた。
羽根の持ち主は誰か。この時期に実家の庭によく来る鳥は、雀、目白、四十雀、尉鶲、磯鵯、雉鳩などだ。インターネットで少し調べてみたが、これらの鳥の羽根の特徴とはどうも合わない。所属している野鳥クラブの仲間に写真を送ってみると、数時間後には、「虎鶫(トラツグミ)の羽根ではないか」と返信があった。参考資料として野鳥の羽根の図鑑の写真も添えられていた。正月四日にもかかわらず早すぎるリアクションが頼もしい。虎鶫の羽根の特徴は確かに手元の羽根のものとよく似ているが、俄かには信じがたかった。虎鶫は冬場に平地に降りてくるものの、森林公園などに出かけて運が良ければ出会えるような存在だ。それが実家の庭に来るなんて、愛鳥家としては大興奮の大事件だ。野鳥クラブの仲間もメール越しにざわついているのが感じられた。しかも私はまだ虎鶫に出会えたことがない。古来、鵺と思われ恐れられていたという独特の鳴き声をいつか聴いてみたいと思っている。そんな憧れの鳥の羽根を私は拾ったというのか。確認のため両親に図鑑の虎鶫の写真を見せてみると、「たぶん見たことがある」という。両親は珍しい鳥の種名はわからずとも、よく来る鳥と見分けることができる。羽根の持ち主はやはり虎鶫に違いないと確信した。さらに詳しく調べると、拾ったものは喉から胸あたりの羽根であることがわかった。 羽根を拾った日は、帰省の最終日だった。羽根が傷まないよう、ひとまずティッシュに包み、ラップで巻いて本に挟んで持ち帰った。自宅に戻った後、さっそく洗浄の方法を調べ、慎重に作業を始めた。 まず、バケツにぬるま湯を張り、少量のシャンプーを溶かす。食器用洗剤でもよさそうだったが、人間の髪の毛に成分が近い気がするので、シャンプーにしておいた。そこに羽根をしばらく浸けておく。水中では羽根がふわりと広がるのだが、水から引きあげると棒のようになってしまう。これも人間の髪の毛に似ている。しばらく浸した後、優しくすすぎ、水気を拭き取る。その後の乾燥の方法は諸説あったが、私はドライヤーで一気に乾かす方法を選んだ。その際に重要なのは、羽毛の流れを整えながら乾かすことだ。一本一本丁寧に指で形を整えながらドライヤーの温風を当てる。この作業が思いのほか楽しかった。濡れてしんなりした羽根に風を当てると、元の形をおぼえていたようにふわりと広がっていく。羽づくろいをイメージして羽毛の流れを整える作業は、まるで自分が鳥になったような気分だ。細かい部分は指では調整しづらく、嘴を持たぬ我が身を嘆いた。 元々ほとんど汚れのない美しい状態だった羽根は、洗浄・乾燥を終えるとさらにふんわりとし、色味が鮮明になった。保管方法を調べたところ、小さなチャック付きビニール袋やプラスチックケースが推奨されていた。大量に保管する場合は場所をとらない袋が良さそうだったが、初めて拾った記念すべき羽根なので、飾っておけるようにプラスチックケースに入れることにした。ケースにマスキングテープを貼り、採取日、採取場所、種名、羽根の部位を細いペンで記入したら、いっぱしの標本のようになった。野鳥クラブの仲間からも、洗浄から保管までの一連のプロセスに合格点をもらったので、安心するとともに、また良い羽根に出会ったら拾って標本第二弾を作ろうと思うほどに味を占めてしまった。 プラスチックケースの中の虎鶫の羽根を眺めながら、いつか実際の虎鶫の姿を見て、鳴き声を聴きたいと願う。春から夏の繁殖期の夜に鳴くそうなので、すべてを叶えるためにはやはり計画的に探しに行くべきか。しかし、何しろ実家の庭に出没していたというサプライズがあったのだから、思いもよらぬ場所で出会える可能性は十分にある。羽根を拾ったことで虎鶫との縁ができた気がするので、今後の出会いに期待して待ちたい |
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夏の鷦鷯 |
| 鷦鷯(みそさざい)に初めて出会ったのは夏の長野だった。早朝から張り切って森に出かけたものの、使い始めたばかりのカメラの設定に手間取り、何度もシャッターチャンスを逃していた。意気消沈して歩いていた時に、朗々とした囀りが耳に飛び込んできた。見回して声の主を探すと、とても小さな茶色の鳥が木道の杭の上で鳴いていた。声量からは信じられないほどの小ささだ。太く長い尾を立てて震わせ、十数秒ほども歌い続ける姿は、堂々として美しい。長いこと同じ場所にとどまってくれたので、じっくりと観察・撮影することができ、心が随分と慰められた。 鷦鷯は日本最小の鳥のひとつで、嘴の先から尾の先までの全長が十センチメートルほど。雀よりも小さいと頭ではわかっているものの、迫力ある鳴き声にその事実を忘れそうになる。名前の由来は諸説あるが、谷筋の沢などを好んで棲むことから、みそは「溝」、さざいは「些細(小さい)」に由来するとか。小さくて茶色い味噌玉のようだからという説も個人的には好きだ。私自身、鷦鷯のことは「おみそ」と呼び、長野で初めて出会った思い出の一羽については「信州みそ」と心の中で名付けている。 「信州みそ」は、木道の杭の上でしばしリサイタルをした後、飛び去ったが、しばらくするとまた現れた。木道の下に小さな沢があり、その土手から飛び出してくるようだ。よく見ると、苔の隙間に窪みがあった。居合わせた人が、巣ではないかと言う。鷦鷯は一夫多妻制で、雄が巣を作り、巣の場所を雌に知らせ、誘うために囀っているらしい。ついでに私のような人間も魅せられてしまうのだが、囀りの目的を考えるとあまり近くで聴き続けては迷惑になってしまう。傍聴はほどほどにしないといけない。 鷦鷯の巣は、苔や落ち葉で念入りにカモフラージュしたうえに、出入口が二カ所あり、外敵に襲われると反対側の口から脱出するそうだ。とても小さな鳥であるため、猛禽類だけでなく、ヘビやオオカマキリなどにも狙われるので、用心深さが必要なのだろう。鷦鷯の生態を調べていて、ある一つの巣を思い出した。私の実家だ。実家にはすべての部屋に出入口が二つ以上ある。小さな部屋にもドアや引き戸が複数あるのは幼心に不思議だったが、何かあった時に逃げやすいようにという祖父のこだわりによるものらしい。明治生まれの祖父は、激動の時代を生き、二・二六事件の際には勤め先の新聞社で襲撃を受けた。戦争も体験した。実家は私の父母の結婚のタイミングで祖父母と同居するために建てたもので、今思えば、祖父は家族が住む場所の安全について色々と思うところがあったのだろうと想像できる。 夏の長野で鷦鷯との印象的な出会いを果たし、すぐに俳句に詠もうと歳時記を引いたところ、冬の季語だと知った。鷦鷯は冬になると低地にもおりてくるため、冬の季語とされているようだ。ならば脳内で冬に季節を変えて詠んでみようかと思ったが、冬場は繁殖期ではないので、鷦鷯は囀らず、主にひっそりと地鳴きしている。私が夏に見た鷦鷯とはあまりにも印象が違う。ひとまずここまで考えて、悩み中である。鷦鷯に限らず、一年を通じて国内で見られる鳥(留鳥または漂鳥)の季感は実に難しい。様々な考え方もあるだろう。私自身は、特に鳥に関しては生態のリアリティを踏まえて詠みたいので、冬の季語として鷦鷯を詠むためには、冬の鷦鷯に出会う必要がありそうだ |
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尉鶲の雄 |
十月も半ばを過ぎ、木々の実が色づきはじめると、朝の散歩にいつもよりいそいそと出かけるようになる。爽やかな気候に加え、そろそろ尉鶲に会えるかもしれないと心が浮き立つからだ。 尉鶲はスズメ目ヒタキ科の鳥で、大きさは雀ほど。雀よりややずんぐりとして見える。雄の頭の銀色から「尉」(老人)の名前がついているが、お腹と背中の華やかなオレンジ色が目を引く。雌は茶色にほんのりオレンジで可愛らしい印象。雌雄ともに翼の白斑が特徴だ。庭先などにもよく来るので、身近な色鳥のひとつと言えるだろう 渡り鳥をそのシーズンに初めて観察することを「初認」と言う。私が現在の住まいである東京都町田市に越してきて以来、毎年記録している尉鶲の初認日は、いずれも十月二十六日〜三十日の間で、ほんの数日の違いしかない。渡ってきてから私が気づくまでにタイムラグがある可能性を考えると、毎年ほぼ同じ日に渡来しているのだろう。尉鶲の寿命は四〜五年だそうだが、小さな体でシベリアと日本を毎年往復していることに畏敬の念を抱く。なお、近年では国内での繁殖事例が増えているようで、先日、長野県を訪れた友人から尉鶲の幼鳥と思われる写真が送られてきた。そのうち、冬鳥とは呼べなくなる日も来るのだろうか。 尉鶲の魅力はたくさんあるが、とりわけ鳴き声が印象的だ。「ヒッ!ヒッ!ヒッ!カカカカッ!」という勇ましい声は遠くからでもよく聴こえる。特に渡ってきてすぐは電線の上などで縄張り争いのために大声を張り上げるので、姿も見つけやすい。秋の澄んだ空気の中、散歩中に「ヒッ!ヒッ!ヒッ!」とそのシーズンに初めて聴こえてくると、「尉鶲が来た!」と愛鳥家のアドレナリンが全開になる。声のする方向に目を凝らし、姿を探す。威嚇するように「カカカッ!」と発しながら尾を上下に振るオレンジ色がかった小鳥がいたら、尉鶲に間違いない。夕映えに鳴きしきる姿などは、まさに「ひたき(火焚き)」の名の通り。尾の一振りごとに茜色が濃くなるようで、見惚れてしまう。初認の日は毎年感動して、良いカメラを持っていないタイミングでも記録写真を撮り、「ジョビ来(きた)る!」とSNSに呟かずにはいられない。その後一週間ほどすると、縄張り争いは徐々に決着し、鳴き声も落ち着いてくる。半径百メートル程度が縄張り範囲のようで、我が家の庭は今年は雌が取ったんだな、この公園は雄か、とわかってくるのがまた興味深い。 野鳥博愛主義なので、一番好きな鳥はどれかと聞かれるといつも回答に困ってしまう私だが、尉鶲にかなり愛着があるのは確かだ。なぜだろうと考えてみると、まだ野鳥に興味を持つ前、子どもの頃から親しんでいた鳥だからだと思う。実家では庭の物干し竿によくとまっており、祖母が「だごかるい」と呼んでいた。翼の白い斑点が団子を担いでいるようだから、故郷の宮崎ではそう呼んでいたそうだ。のちに野鳥と俳句に興味を持つようになってから、図鑑と歳時記を調べてみると、尉鶲は「団子背負い」とも呼ばれるとあった。「だごかるい」はその変化形なのだろう。祖母は草花や生き物に造詣が深かったが、子どもの頃の私はほとんど興味がなかったのが悔やまれる。それでも祖母との会話は大好きで、「だごかるい」という楽しい愛称を持つ鳥が私の記憶に残った。時間を超えて祖母と私を繋げてくれる尉鶲。今年も暦通りに渡ってくるのを楽しみに待っている。 |
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照ヶ崎海岸に飛来する青鳩 |
| 野鳥観察は一期一会で、会いたい鳥に必ず会えるとは限らない。野鳥の生態とフィールドをよく知れば確率は上がるが、思い通りにいかないところも野鳥観察の面白さだ。しかしながら、「この時期にここへ行けばこの鳥にほぼ必ず会える」という特別な場所もある。神奈川県大磯の照ヶ崎海岸はそのひとつで、毎年夏場に青鳩が集団飛来することで知られている。 数年前の夏、思い立って照ヶ崎海岸へ行くことにした。青鳩はまだ観たことがなかったので、もし観られたら「ライファー」(Lifer;人生で初めて観た鳥)だ。ちなみに、ライファーに出会い野鳥図鑑などにチェックを入れるのも、野鳥観察の醍醐味のひとつだ。 町田の家を朝六時半頃に出て、大磯の駅に着いたのが八時。自分なりに早起きをしたつもりだが、駅から十分ほど歩いて海岸に着いてみれば、既に待機中の人の列、と言うよりも三脚に据えられた大砲のような望遠レンズの列があった。バードウォッチャーの朝は早いのだ。青鳩は磯の岩場にやって来る。ずらりと海を向く大砲は凄い迫力で、コンパクトデジカメ(超望遠ではあるが)を首にぶらさげただけの軽装備の私はやや気後れしてしまった。しかし、皆さんの心は青鳩に向いており、人の装備を気にする様子はなかったので、軽く会釈し、邪魔にならぬようそろりと列に加わらせてもらった。 ところで、鳩が海に来るとは、はて?と思われた方もいるかもしれない。青鳩は森に住む鳩だが、夏場になると海水を飲みに群れをなして海までやってくる。照ヶ崎海岸で観られる青鳩は、約三十キロメートル離れた丹沢山地から毎日飛来するそうだ。どこから来るのか長年謎だったが、地元の野鳥観察グループが照ヶ崎海岸の青鳩の糞の中に丹沢山地の標高千メートル以上にしか分布しないミヤマザクラの種子を見つけたことで明らかになったという(この経緯には胸が熱くなる)。海水を飲む理由は実はまだよくわかっていないらしいが、青鳩は果実を主食とするため不足するミネラルを海水から補っているとする説が有力だ。 朝と言えど、快晴の八月末の砂浜はじりじりと灼けてくる。いつ飛んできてもいいように、青鳩の住処である山の方角を中心に眩い空を辛抱強く見張る。しばらくすると、並んで待っていた大砲が空へ照準を移し始めた。来たのか?目を凝らすと、逆光の空を鳩らしき鳥の群れが時折旋回しながらこちらへ向かってくる。百羽をゆうに超える大群、あれはきっと青鳩だ。あっという間に海へ到達し、波間を縫って一斉に岩場に降りた。遠くて肉眼では良く見えなかったが、カメラを目いっぱいズームすると、オリーブ色の羽を持つ美しい鳩の姿があった。岩場の穴に溜まる海水に嘴をつけ、せっせと飲んでいる。しかし次の瞬間には波が来て、散るように飛んだ。そして波が引けばまた戻り、海水を飲む。時に波をかぶりながら、繰り返し果敢に岩場に降りる姿は、私の持っていた鳩のイメージを覆す勇ましさだった。一時間ほど観察を続ける間、代わる代わる群れがやってきた。ずっと見ていたかったが、無事にライファーをゲット(野鳥観察界隈ではこのように表現する)できたことだし、暑さに耐えきれなくなった頃合いでおとなしく家路につくことにした。 最後に、このときの体験から詠んだ拙句を紹介させていただく。 引く波を待つ青鳩の眼の一途 露草うづら なんだか久しぶりに青鳩たちに会いたくなってしまった。今年の夏は新しいカメラと三脚を持って、大磯へ行ってみようか。 |
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求愛給餌をする小鰺刺 |
| 夏の水辺の鳥たちの中でひときわ優雅な姿で飛ぶのが、小鰺刺(コアジサシ)だ。青空を背景に、舞うように羽ばたく白く長い翼は蝶を思わせ、ひらめく尾羽は燕を思わせる。特に印象的なのは狩の様子だ。上空から水面近くの小魚を見定めるや、軽くホバリングし急降下。鋭い嘴で串刺しのように捕獲する様は爽快で、まさに「鰺刺」の名の通りだ。 小鰺刺は、チドリ目カモメ科のアジサシの仲間のうち、日本では最も身近な種であり俳句で「鰺刺」として詠まれてきたものの多くは小鰺刺のことを指すと考えられる。夏鳥として四月ごろに南半球のオーストラリアなどから渡ってきて、繁殖・子育てをし、九月頃に帰ってゆく。干潟や砂浜、玉砂利の河原や中州など見通しの良い場所を好んで巣を作るが、近年、水辺の開発などから営巣適地が減少し、繁殖地と個体数の減少が危惧されている。 群れて来し千鳥ヶ淵の小鰺刺 安陪青人 という句を『野鳥俳句辞典』(布留川毅著、2021年)で見つけた。句の年代は不明だが、昨今では都心の水辺で小鰺刺の群に出会うことはなかなか難しいのが実情だ。 2022年6月、筆者は野鳥観察の仲間の誘いで、小鰺刺の営巣地の観察会に参加した。NPO法人リトルターン・プロジェクトが、東京都下水道局森ヶ崎水再生センター東施設屋上に人工の営巣地を設けており、雛が孵る六~七月頃に観察会を開催しているのだ。施設の場所は大田区昭和島。羽田空港にほど近い東京湾の埋立地にあるコンクリートビルの屋上だ。そこに小鰺刺の営巣に適した玉砂利の環境が再現され、小鰺刺に仲間がいると思わせ誘引するためのデコイ(木製の模型)などが設置されていた。 なぜこのような場所にと思ったが、東京湾の営巣適地が減り、行き場を無くした小鰺刺がむき出しのコンクリートの上で営巣しているのを発見し、見かねた人々により環境整備が始まったそうだ。この保護活動は二十年以上も続いている。 観察会はコロナ禍の影響もあってか、事前予約制で、人数制限と通行制限のもと整然と行われた。屋上の営巣地では、成鳥の飛来はあるものの、まだ抱卵・子育て中のものはいなかった。しばらく待っていると、「来た!」と誰かの小さな声。遠くの空から「キリリッキリリッ」という鋭い鳴き声が降ってくる。見れば、青空を背にこちらへ飛んでくる、真っ白な鳥。明らかに鷗とは違う華奢な体、しなやかな飛び方で、すぐに小鰺刺だと確信した。 飛んできた小鰺刺は目の前数メートルのところに着地。興奮を抑えつつ観察していると、もう一羽が飛んできて、隣に着地した。その嘴には銀色に光る小魚が。先に着いていた一羽にその魚をプレゼントする様を間近に見ることができた。「求愛給餌」といって、雄がパートナーの雌に餌を渡す行動だ。写真はその時に撮影したもの。シャッターチャンスを逃すまいと必死で、翼の先まできっちりと撮れなかったことが悔やまれるが、とても貴重な場面を見せてもらい、感無量だった。よく見ると写真右側の雄の嘴には銀色の鱗がたくさん付いていた。この求愛給餌が何度も繰り返されていることが思われ、厳しい環境の中でもたくましく生きる二羽の横顔を眩しく感じた。 営巣地の保護活動は大変なことで、多くの人手と時間をかけても、雛が無事に巣立ちを迎えるまでには数多の困難を乗り越えねばならない。人工の営巣地も守りながら、できるだけ自然の営巣地が回復し、小鰺刺が日本で安心して暮らせる環境が戻るようにと願う。 |
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春に地上で活動する鶫 |
| 立春を過ぎ、東京では光や風に春の気配を感じるようになった。数日前まで筆者が滞在していた石川県の能登地方でも、残る寒さの中、梅が咲き始めていた。佐保姫はゆっくりと、しかし着実に、日本全国津々浦々に春を運んでくれる。 春の到来を実感する事象は人により様々であろうが、愛鳥家俳人の私にとっては、やはり鳥だ。 歳時記で「春告鳥」と言えば、鶯を指す。確かにあの伸びやかで華やかな鳴き声は、春の象徴としてふさわしい。しかし、鶯が鳴き始めるのは、例年二月下旬から三月上旬頃なので、春を告げると言うにはやや遅いように感じてしまう。 筆者にとっての春告鳥は、鶫だ。鶫は十一月頃に冬鳥として日本に渡ってくる(このため秋の季語となっている)。雑食性で、渡来後しばらくは樹上で木の実を食べているが、東京では二月上旬頃から地上でよく見かけるようになる。木の実を食べつくし、地中の虫などを探し始めるためだ。開けた空き地などで、タタタッと走っては立ち止まり胸を張る「だるまさんがころんだ」のような鶫の姿はよく目立つ。目にも楽しく、「あぁ、春が来たなぁ」としみじみ感じる。熱心に地面を掘り返し、蚯蚓や幼虫などを引っ張り出す様子は、「春ホジ」として個人的に春の季語に認定しているほどだ。鶫は、日本に滞在中は繁殖期ではないため、その名の通り(口をつぐむ=つぐみ)とても静かだ。その佇まいがまた、ゆっくりとした春の訪れによく似合う。鶯は、むしろ春闌の気分に近いのではないだろうか。 所変わって、筆者が以前在住していたアメリカ北東部では、春告鳥と言えば、羽衣烏(ハゴロモガラス;Red-winged Blackbird)だ。三月中旬くらいからようやく春と言える気候になり、その先駆けとして渡ってきて、「コンクラリー!」と大声で囀る。和名に「烏」が付くが烏の仲間ではない。しかし見た目は日本の烏の肩の部分の羽だけを赤と黄色にしたような感じだ。この他には、啄木鳥類のドラミング(木をつつく行動)が盛んになるのも春の訪れのサインだ。家の壁や柱などもつつくため、おちおち寝ていられない。賑やかな鳥たちのパワーによって、雪のたっぷり残るアメリカ北東部が春へと動き出すように感じたものだ。 日本では長年、気象庁の生物季節観測の一環で「うぐいすの初鳴」の調査・記録が行われてきた。広く報道もされ、春の訪れを示す指標のひとつとして市民に親しまれてきた。しかし、この生物季節観測の項目は二〇二〇年を最後に大幅に削減され、動物観測に至っては全廃となった。これに対しては各所から懸念の声が上がり、詳しい経緯は承知していないが、結局、気象庁・環境省・国立環境研究所の三者連携により二〇二一年以降も観測は継続されている。これまで気象庁の調査員が観測していたものが、市民参加型の調査を取り入れるようになり、いわばシチズン・サイエンス(市民科学)としてクラウドソーシングされた形だ。鶯の初鳴についても、一般市民が聴いた日を報告できるウェブサイトがあり、誰でも参加できる。インターネットが発達した現代に適した、合理的な自然観測の在り方に変化したとも捉えられる。このような時代の流れを踏まえれば、我々俳人が季節の変化に敏感であり続けることも、季語の季感と現代の季感との乖離に悩むことも、文芸的な探求以上の価値を持つ日がいつか来るのかもしれない |