続リヨン風信(六)「極彩色の魔法」



 八月のフランスはルノワールの絵画のようだ。街を溶かしそうなほどひかりがふんだんに溢れ、通りではマルシェ帰りの人々があいさつを交わしている。目が痛くなるくらい空が青い。透明な風が肌を撫でて通り過ぎてゆく。ほんの一月前まで街中を彩っていたモスリンは姿を消し、通りは何事もなかったようにつるんとしている。

 今回は六月二十日から二十九日にかけて行われた「モスリン祭」のことをお話ししたいと思う。モスリンというのは木綿や羊毛などを平織りにした薄地の織物のことで、この街はかつてその生産で栄えていた。一九五五年以来タラール市では五年ごとに「モスリン祭」というフェスティバルが開催されている。本来なら二年にも開催される予定だったのだが、残念ながらコロナ禍のため中止となった。今年はそういうわけで十年ぶりのお祭りとなった。

 アランと私は、グザビエを誘ってモスリン祭に出かけた。六月だというのに気温は三十度を超え、歩くだけで肌がじっとりと汗ばむ。タラール市内はもちろん、近隣の村々からも人が集まっているようで、いつもは人気のない日曜日のタラールに群衆がどっと溢れている。こんなにもたくさんのフランス人が集まっているところに、私は今まで出くわしたことがない。どの顔も晴れやかで、何か素敵なことが始まりそうな予感がむんむんと熱気の中に漂っている。私たちは木陰に入り、パレードを眺めることにした。

 初めに現れたのは、色鮮やかな衣装を身にまとったマダム。レモン色のモスリンで彩られた山車に乗り、ラベンダーのサシェ(ポプリの入った小袋)を気前よく放り投げている。運よくそれをキャッチしたアランは、私の手にサシェを乗せてくれた。鼻を近づけると新鮮な野生の香りがした。

「これってそれぞれフランスの各地域を象徴しているんじゃないかな」とグザビエが言う。

「ああ、本当だ。今のは南仏で、次に来るのはリヨンだ」とアラン。

次の山車が現れた。二人の言う通り、リヨンを象徴するアイテムがふんだんに盛り付けられている。ポールボキューズのレストランの写真を背に、コック帽とエプロンを身に着けたムシューがにこやかに手を振っている。観光名所であるフルヴィエール大聖堂の模型も、誇らしげに輝いている。

  私たちは人々につられてパレードの向かう方向に歩き始めた。群衆はひとつの意志を持つ巨大な生き物みたいに、長く尾を引いて街を練り歩き、教会前の広場に辿り着いた。

 広場にもすでに人々が押し寄せていた。太陽のひかりは午後になっても衰えず、いよいよ勢いを増し、躰中の水分を搾り取るように照りつける。それでもパレードは終わらない。むしろ熱気に押されるように、ますます力強く行進を続けている。

「すごいな。こんなに盛大なフェスティバルだとは思わなかった」グザビエは放心したように言う。 

「実は僕も初めて参加したんだ。これぞフランスの真髄って感じだな」とアラン。

「なんだか魔法みたいね。色んな嫌なことが洗い流されていくみたい」と私も言った。

極彩色の天幕のように街中を飾るモスリンと、汗に濡れて輝く人々の顔と、楽隊の奏でる激しく明るいメロディー。これがフランスなんだ、となぜかその時私は強く思った。これが真のフランスの姿なんだと。

 神道の禊の儀式のように、穢れを落とす行為は、おそらくどの国のどの文化にも存在するだろうと思う。この国では陽気な白魔術のようにそれが行われるのだ。 

 その日の晩のうちに帰る予定だったグザビエも、結局一泊することになった。夜になってもフェスティバルは終わらず、教会の広場からは相変わらず太鼓の音が聞こえてくる。空は藍色で、広場の時計は深夜一時半を指している。人々は眠ることを忘れたようにそこらをぶらついている。

 オレンジ色の街灯を浴びて、街角でブラスバンドが演奏をしていた。その周りを数人の観客が取り囲んでいる。サクソフォンの音が胸をびしびし貫く。快楽という石礫を躰中に浴びているようだ。音符の一つ一つが私をたたきつけ、その場に釘付けにする。と、そこにひとりの若い男性が飛び込んできた。背の高いすらりとした体躯の人だった。彼はごく自然に音楽に身を任せて踊り、手を打ち鳴らし、次の瞬間にはひらりと身をかわしてどこかへ消えてしまった。

「なに、今の」私はちょっとびっくりして言った。

「まあみんな酔っぱらってるからね。この国ではそんなにめずらしいことじゃないよ」とアラン。

「そうそう、僕らはラテン民族だからね。音楽が鳴ったら踊るのさ」グザビエも同意する。

「イサドラ・ダンカンじゃあるまいし」と私。けれど彼らの血の中に流れているリズムを、少しうらやましく思った。

 夏の夜の魔法は街を包み、人々を静かに癒すだろう。月のひかりが闇を照らし、淡い膜のようにこの国を守っている。どんな悪も、罪も、侵入できないように。




続リヨン風信()「モスリンと夏のひかり」 



 六月のフランスの天気は気まぐれだ。太陽が狂ったように照りつける日もあれば、灰色の空を雨が覆う日もある。街を歩けば、色とりどりの布が鯉のぼりのように空を彩っているのが見える。今年はモスリン祭が行われるのだそうだ。

 「モスリン祭」というのは、一九五五年以来タラール市で開催されているフェスティバルである。モスリンは木綿や羊毛などの糸で出来た薄地の織物で、この街はその特産地らしい。五年ごとに開催され、今年は六月二十日から二十九日に行われる。期間中はモスリンで装飾された山車が行進し、ちょっとした見物らしい。私はまだ見たことがないので、今から楽しみである。

  ある日、アランと私はリヨンに出かけた。以前に申請した滞在許可証を受け取るためだ。その日はとても暑くて、朝八時からすでに太陽のひかりが主張しはじめていた。パールデュー駅で降り、県庁まで歩く。通り過ぎる人々は、半袖シャツに短パン、サングラスといった服装で、早くも夏の訪れを感じさせる。

 フランスの行政機関は驚くほど非効率的で時間がかかるのだが、フランス人自身にとっても煩わしいものらしい。「気の触れる家 (Maison qui rend fou)」という異名があるぐらいだ。前回ビザの更新をしに県庁に赴いた際は、朝七時から列に並び、手続きを終えて帰るころにはすっかり日が暮れていた。しかしコロナ以降デジタル化がずいぶん進んだようで、今回は比較的スムーズに事が運んだ。一時間ほど待ったところで順番が来て、必要書類を担当者に提示すると、すぐに新しい滞在許可証を受け取ることが出来た。

「これで胸を張ってフランスにいられるわ」建物を出ると、せいせいした心持で私は言った。

「よかったな」とアランも嬉しそうに言ってくれた。

 私は受け取ったばかりの滞在許可証を改めて眺めた。

 それは運転免許証ぐらいのサイズのプラスチックのカードで、顔写真と住所などが記されている。この国での私の存在証明はこのカード一枚にかかっているのだ。フランス人と結婚していようが、フランスに七年住んでいようが、そんなことはこの国の人々には分からない。彼らの目に映るのは、ただのひとりのアジア人だ。私はやはり異邦人にしか過ぎない。だからこそ「私はここにいます」と叫び続けなければならないのだ。無数の書類で武装しながら。

 昼近くになり、カフェに寄って休憩し、またタラールへとんぼ返りした。家に帰るなりシャワーを浴び、ずぶずぶと昼寝した。しかし私にはまだするべきことが残っていた。自動車学校に行かなければならない。気が重かったが、思い切って外に出た。陽射しが肌を焦がす。

 受付のジャンはにこやかに出迎えてくれたが、少し驚いた様子でもあった。というのは、私は数日前に寄ったばかりだったからだ。

「あれ、今日は運転の日じゃないよね?」とジャン。

「ええ、でもちょっとお話ししたいことがあって」と私。

 教習を受けてから二か月ほど経つが、実は苦手な教官がいる。四十代ぐらいの気さくな男性で、決して悪い人ではないのだが、やや態度が荒い。自慢じゃないが、ただでさえ下手くそな運転中に大声を挙げて注意されると、泣きそうになる。もうやめてしまおうかという気になる。けれどそれは私の脆弱な精神の問題であり、大人なのだから我慢しなければならないと思っていた。しかしそのことを夫に打ち明けると、「今すぐ教官を替えてもらった方がいい」と言う。けれどそれは子どもっぽい言動だと受け取られないだろうか。先方の都合もあるだろうし、私のわがままで面倒をかけるなんてとんでもないことではないか。けれどさんざん迷った末、相談だけでもしてみようと思った。その暑い日、私が自動車学校に寄ったのはそういうわけだった。

 事情を話すとジャンはすべてを察し、速やかに対応してくれた。

「大事なのは、君にとってスムーズに物事が運ぶことだよ。僕たちはそのためにいるんだから」と彼は笑顔を見せた。変更手続きにはものの五分もかからなかった。そのことについて頭痛がするほど思い悩んでいた数日間が嘘みたいだった。私はなんだか狐につままれたような気持ちで、よろよろと家に戻った。

 事の顛末をアランに話すと「ほらね」と彼はしたり顔で言った。

「自分の意見を大切にすること、それを正直に伝えること、物事がうまくいかないのなら素直に認めて改善策を探すこと。それのどこが子どもっぽいの?この国では普通のことだよ」と。

言われて見ると確かにその通りだった。ああ、フランスにいるってこういうことなんだ、とその時私は思った。

 窓を開けると、めまいがしそうなほど強い陽射しが通りを照らしていた。空は白くひかって、夏の到来を喜んでいるみたいだった。風にはためく色とりどりのモスリンが、そっと抱きしめてくれたような気がした。





続リヨン風信(四)「花の嵐」


    
                                                     
 フランスの春は強引にやってくる。鎧戸を揺さぶり、窓から極彩色のひかりが侵入する。鳥たちはオペラ歌手のように高らかに鳴く。日本のような桜色の淡い春ではない。
 外に出れば、通りにひかりがたっぷりと降り注ぎ、景色が白く見える。その非現実的なほど強い輝きの中で、街ゆく人々のシルエットが映画の一場面のように見えてくる。彼らは春の陽気の中を幻のように通り過ぎる。わたしは杖を失ったひとのように、おぼつかない足取りで歩く。陽炎に包まれているみたいに遠近感がうまく掴めない。
 最近、フランス政府から新規の滞在許可証が下りた。申請から約一年半。長い道のりだった。
 インターネット上で申請を行ったのが二〇二三年の十月。数ヶ月後に「仮滞在許可証」という一枚の紙が届いた。本来ならその後「滞在許可証」という、運転免許証ほどの大きさのカードが発行されるはずなのだが、待てど暮らせど連絡がない。書類に不備があった訳でもなく、メールで問い合わせても「お待ち下さい」の一点張り。それからさらに一年の時が流れた。 
 何かがおかしい。これまでビザの更新を二度行ったが、コロナ禍でさえ半年以内で片がついたのだ。なぜ今回に限ってこうなのだろう。フランス政府は外国人を受け入れたがらないのだろうか。フランス人と結婚しているといえど、私はあくまで異邦人である。何かしらの理由で体よく追い返されるのではないか。私は被害者じみた考えを抱くようになった。そんな私に、アランはこう言った。
「ねえ、考えてみて。凶悪犯罪を犯すような不法侵入の移民がこの国にはゴロゴロしているんだ。フランス人の夫がいて、かつ真面目に法を守っている君が追い出されるはずないだろう」
「それもそうね」と口では言ったものの、心の底では確信が持てなかった。
「まさか君は『フランスにいる権利がない』なんて思っている訳じゃないよね?」
私の考えを見透かしたように彼は言った。
「『フランスにいてごめんなさい。あなた達と同じ空気を吸ってごめんなさい。この地球上に存在していてごめんなさい』。これが君の魂が告げているメッセージだろう。違う?」
「そんな大げさな。そこまで考えてないわよ」
「その割には君のメールには『すみません』という言葉が三度も出てきているね」と、彼は私が先方に宛てて書いたメールの下書きを見ながら言った。自分では気が付かなかったが、改めて読み返すと以下のような言葉が並んでいた。
お忙しい中申し訳ありません、お手数おかけして申し訳ありません、度重なる問い合わせになり申し訳ございません、等々。日本で当たり前に使っていたこれらの言葉をフランス語に直すと、なぜかとても違和感があった。
アランはため息をついて言った。
「日本では謙虚さは美徳かもしれないけれど、この国では『卑屈』と受け取られる。足元を見られたら終りさ。いざとなったら怒鳴り込みに行くぐらいの気構えでいないと」
うんざりするほど複雑な手続きと気の遠くなるような時間の中、高慢で冷淡な担当者とバトルを繰り広げる。フランスの行政手続きとはそういうものだと、アランが教えてくれた。
「自分の欲しいものを絶対に手に入れる。そのためには最後まで闘う。君にはその覚悟がある?」
「ううん。正直言って、心が折れそう」
「フランスにようこそ」
 後日アランに手伝ってもらい、改めて県庁にメールで問い合わせたところ、数日後「滞在許可証が発行された」との連絡が来た。それはまるで魔法のような出来事だった。一体どうなっているのだろう。
「メールの文章をちょっと変えただけさ。『緊急事態なのでこれ以上待てない。一年半も待つのはちょっと異常だと思う。何か問題があるのなら教えてほしい』ということを書いたんだ。もちろん丁寧な言葉でね」
彼はさらりと言った。そしてこう付け加えた。
「僕も日本に十年住んでいたからわかるけど、日本人は親切で丁寧で仕事が速い。でも同じことをフランスに期待したら駄目だよ。この国では理不尽なことが多すぎる。怒りをパワーにして進むしかないんだ」
「それって疲れない?」半ばげんなりして私は尋ねた。
「大人になるってそういうことだよ。今まで習い覚えたことを忘れて、自分の欲しいものを掴み取るんだ」
 そういうものだろうか、と私は思った。
   
                       ピノキオの店                          星の王子様の店
 折しも夫と私は自動車学校に通い始めた。一般的に言って、免許を取得するような年齢は二人ともとうに過ぎている。しかし物事にはタイミングというものがある。私たちにとっては、今がその時期なのだろう。私は今、この国でようやく大人になろうとしているのかもしれない。
 気が付けば方々で桃色の花が咲いている。日本の八重桜に似ているように思うが、なんという名前かわからない。風がごうと吹き、花びらを遠くまで飛ばす。むせかえるような花の嵐の中で、私は少し微笑んだ。

 ソーヌ川



続リヨン風信(三)「窓辺のカサンドラ」




 窓辺から蜜のようなひかりが射し込んでいる。世界は明るく、美しく、素敵なことで満ちているように見える。ところが一歩外に出ると風は身を切るように冷たい。指がかじかみ、耳がひりひりする。春はまるで曖昧な約束のように、どこか遠い場所にあるようだ。

 最近、フランスではマクロン大統領夫妻に関するスキャンダルで持ち切りである。日頃政治に関心のない私だが、この件には心を動かされるものがあり、調べてみることにした。すると奇妙な事実が次々と浮上してきた。ひとつの謎がまた次の謎を呼び、その謎がまた最初の謎に戻り…といった具合である。だんだんエッシャーのだまし絵を見ているような気分になってくる。まだ公式には公開されていない情報なので、誰かに話したところで理解してもらえないのが歯がゆい。
「真実を語る者は、いつも受け入れられないんだよ。カサンドラのようにね」とアランが言った。
「ああ、あのギリシャ神話の?」と私。
「そうそう。カサンドラは未来を知る力を与えられながらも、太陽神アポロンによる呪い
のせいで誰からも信じてもらえなかった。いつの世でも真実というのは煙たがられる’ ものさ」
そんなものだろうか、と私は思った。
 ある日、義妹の家族の家にお邪魔することになった。彼らは農業を営んでおり、広大な敷地にはあらゆる種類の果樹が植えられている。鶏小屋に山羊小屋、チーズを製造する作業場まである。入口にいる美しい二羽の孔雀に見とれていると、大きな毛むくじゃらの犬がやってきて挨拶してくれた。室内にはさらに小犬が一匹、猫が三匹いる。まさに動物王国といった趣だ。
「さあ、座って。これからお菓子を作るところなの」とアランの妹のアンヌ。
彼女はなめらかな手で生地をこね始めた。四人の子どもを持つ母親だというのに、みずみずしい美しさはまったく失われていない。しばらくして彼女の夫のヴィクトルが仕事から帰ってきた。岩のようにどっしりした体躯で、冗談を言うのが好きな陽気な男性だ。
 すると子どもたちがやってきて出迎えてくれた。長女のシャルロットは大学生。栗色の髪の毛をした、仔猫のように可愛らしい女の子だ。次女のイリスは高校生。すらりと背が高くきれいなブロンドの髪をしていて、いつも静かに微笑んでいる。三男のルイは十二歳で、眼鏡をかけた色白で華奢な男の子。そして末っ子のトムは十歳。賢そうな大きな栗色の瞳が印象的な男の子だ。
 シャルロットとイリスは最近運転免許の学科試験を受け、見事合格したという。
「思ったより簡単だった。今は技能試験に備えて練習中なの」とシャルロット。
「へえ。今まで誰も轢かなかった?」とアランが茶々を入れる。
「失礼ね。当然でしょ」
そのような話をしていると、トムが突然「絵を描きたい」と言い出した。それは子どもの駄々という感じではなく、ほとんどベテランの画伯のような、静かな気迫に満ちた様子だった。まるで彼の体内に埋め込まれた時計が時間を告げるみたいに、ほとんど毎日同じ時間に絵を描くのだとアンヌが教えてくれた。
 アマチュアのイラストレーターであるアランは、甥の芸術的素質の芽生えを喜んでいるようだ。小さなキャンバスに向かい黙々と絵を描くトムに、絵具の使い方をアドバイスしている。
 イリスとルイはそれぞれ自分の部屋に行ってしまった。みんな少しずつ自分の世界を形成していく年頃なのだ。
 そうこうするうちに夕飯の時間になった。アランのレシピを元に、みんなで協力して大きなハンバーガーを作った。たっぷりのレタスにトマト、ピクルス、分厚いパティの入った巨大なハンバーガーだ。小さな子どもの頭ほどの大きさはあるだろうか。子どもたちは食べきれるだろうかと心配になったが、みんなぺろりと平らげていた。
 夜の九時半を回り、そろそろお暇することになった。アンヌが車で送ってくれるという。アランと私はほんの少しの眠気と、子どもたちが残してくれた星のような明るい余韻を感じながら車に乗り込んだ。
「子どもっておもしろいものだな。賑やかで、楽しくて」とアラン。
「でもね、四人も子どもがいると大変よ。いつも誰かが何かの問題を起こすし。こっちは頭がおかしくなりそう。もちろん、どの子もみんな可愛くて大好きだけど」とアンヌ。
 沈黙が下りた。一瞬、闇が肌を切り裂きそうなくらいに濃くなった。しばらく誰も口を開かなかった。
「じゃあまたね」と明るく言った彼女はやはりいつものアンヌだった。きりりと冷えた夜の中に、颯爽と車を滑らせて去っていった。

 その晩、私はふたたび例の調査に戻った。私は闇というものに魅了されつつあった。薄っぺらいひかりの照らす世界にも影がある。大統領夫妻のいるエリゼ宮にも、あかあかと灯のともる家庭にも。もしかしたら私たちの誰もが窓辺でため息をつくカサンドラなのかもしれない。


 

 
続リヨン風信(二)「聖樹」

 
 
 今年もまた、教会の広場にもみの木が飾られる季節になった。毎年十一月中旬になると、その巨大な木はどこからか運ばれてきて、広場に設置される。そしていかにもおざなりな飾り付けをされ、一月まで放置される。雨の日も風の日も、もみの木はむっつりとそこに立っている。何かの間違いでリボンを付ける羽目になった朴念仁みたいに。

 二〇一九年四月に火災に見舞われたパリのノートルダム大聖堂の修復が終わり、十二月七日に再開記念式典が開かれた。アメリカのトランプ次期大統領や、起業家のイーロン・マスク、ウクライナのゼレンスキー大統領、イギリス王室のウィリアム皇太子など錚々たるメンバーが出席し、マクロン夫妻が彼らを出迎えた。
 後日、式典の様子をYoutubeで観た。年月とともに煤けてしまった柱は純白を取り戻し、ステンドグラスは樹氷のように煌めいている。美しく清らかな力がこの国に舞い戻ってきたようで、躰の芯がすっと正されるような気がした。

 冷たい空気が足指まで染み込むようなある日のこと、私たちは自動車学校に通うことになった。アランはかねてから田舎に引っ越したいと言っているのだが、そのためには車が必要になる。ところが彼も私も免許を持っていない。ではふたり同時に登録しようということで、話がまとまったのだ。
 幸い、自動車学校は自宅から五分ほどのところにある。実は夫はうんと若い頃にこの学校に登録していたのだが、その時は色々な事情があって通学できなかったそうだ。それで長い時を経てまたやり直すことになったのだ。
「ああ、君ね。まだ書類も残ってる。ようこそ、またよろしくね」
受付の男性は親し気に言った。
「おお、ジャン。まだここで働いているのか。こちらこそよろしく」
アランは旧友に再会したような笑顔を見せた。
 ジャンと呼ばれた男性は、年の頃は四十代くらいだろうか、革のジャンパーにジーンズというラフな格好で、スポーツマンのように快活な人物だ。歯切れよく朗らかに話す。きっと多くの生徒を受け入れ慣れているのだろう。
 その日は簡単な説明と書類の提出だけで終わり、後日テストのためにまた来ることになった。
 まずアランの番が来て、数日後に私の番が控えていた。彼はどのような様子かを教えてくれた。
「モニター画面を見ながら運転するんだ。もちろん本物の車じゃない。バーチャルの街を、バーチャルの車で走るんだ。そんなに難しくないよ。僕はかなりいい線いったと思う」
彼は誇らしげに言った。もともと運動神経がいいアランのことだから、私はあまり心配していなかった。
 ある日とうとう私の番がやってきた。ジャンがにこやかに出迎えてくれ、手順を説明してくれた。ゲームセンターによくあるレースゲームのような運転席に座り、ヘッドセットを装着する。簡単な質疑応答を終えると、いよいよ実践である。目の前に広がるバーチャルリアリティーの街。アクセルを踏み、ハンドルを切る。長い間「とても大人っぽい行為」に見えていた運転というものに、今取り組んでいるのだ。私は胸が高鳴るのを感じた。
 しかし結果は惨憺たるものだった。
道にめちゃくちゃにぶつかるものだから車を三度も故障させ、トンネルに入ればランプの点灯の仕方がわからずワイパーを動かしてしまう始末。「初めてなんだからこんなものだよ」とジャンは励ましてくれたが、私は穴があったら入りたい思いだった。もし入学を断られたらどうしようと思ったが、幸いそのようなことはなく、受け入れてもらえることになった。
 自動車学校を出ると、門前でアランが待っていてくれた。経緯を簡単に説明すると、アランは爆笑した。暗くなりかけた空に、けたたましい笑い声が響く。
「どうして今まで免許を取らなかったか、わかったでしょ?」私は赤くなって言った。
「そうだね。予想はしていたけれど、それ以上だった。これが現実の世界じゃなくてよかったよ」
「それにしてもこの年になってこんなに冷汗をかくとは思わなかった。もう大抵のことには動じないつもりでいたのに」
「学ぶことはまだいくらでもあるよ。『無知の知』ってソクラテスも言ってるだろ?」
「それもそうね」
「あれ、もうツリーが出てる。ほら」

 アランの指さした方を見ると、ほの昏い教会の広場にもみの木が聳え立っていた。それは例年の仏頂面をしたツリーとは似ても似つかない代物だった。もみの木は一面に電飾をまとい、きらめく星が幹を伝い流れ落ちてくるように見える。青白いひかりに守られて、聖樹は誇らしげに輝いていた。アランは口笛を吹いた。彼はいつも「フランスで一番みっともないツリーだ」と罵っていたのだが。
 もみの木を見上げながら、彼はぽつりとつぶやいた。
「今年はいいクリスマスになりそうだ」
そして私たちは家路を急いだ。あちこちで灯りはじめたオレンジ色のひかりを後にして。

 







続リヨン風信(1)『インディアン・サマー』

中川莉羅

 フランス人にとって、バカンスは「命の水」とでも言うべき存在だ。夏の二週間ほど、彼らは旅に出る。行く先は様々だが、渚へ向かう人が多いように思う。産卵する鮭が川の上流に向かうように、フランス人は海を求める。老若男女、みな水の中へ飛び込み、喜びの泡に包まれる。塩辛い水を浴び、ひかりが波間をたゆたうのを眺める。

 九月の二週間、アランと彼の従兄のグザビエ、そして私というおなじみのメンバーでコルシカ島を旅行した。リヨンから南仏のトゥーロンまで車で四時間半。そこから船に揺られてさらに八時間。およそ半日かかってやっと辿り着く。

 今回訪れたのは北部にあるボルゴ(Borgo)という小さな街だ。九月とはいえまだ暑く、強い陽射しを浴びていると頭がくらくらするほどだった。朝起きてシャワーを浴び、朝食を済ませたころにグザビエが起きてくる。彼は起きるなり意気揚々と浜辺へ向かう。夫と私も少し遅れて海へ行く。

 海に飛び込むと躰中の細胞が生まれ変わるような気がする。マスクをつけて水中を覗くと、そこには様々な生物が息づいているのが見える。足裏をくすぐる海草や、小さな魚の群れ、さわさわと動くウニ。そしてふと気づく。私もここに生きている生命と何ら変わりはないのだと。

 泳ぎつかれると家に戻って軽い食事をし、午後には車で街を散策する。ドライブ中、よくウエストコースト系の音楽を聴いていた。窓から吹き込む風と熱いビートが、私の躰を心地よく打ちのめす。椰子の木がすごい速さで視界を横切っていく。コルシカ島には何か不思議なエネルギーが満ちていて、それは私を圧倒する。文字通り声も出せない。よく後部座席で放心していたので、アランもグザビエも私が居眠りしていると思ったらしい。

 私たちはバスティアやエールバルンガ、サン・フロランといった街を散策したり、時にはレストランで食事をしたりした。どこに行っても必ず海が見えた。海は無口な友人のように、陽射しを浴びてひっそりと輝いていた。

 ある日、いつものように泳ぎに行くと、アランが突然水中で声を上げた。踵のあたりに痛みが走ったと言う。クラゲだろうかと思ったが、そうじゃないと夫は言う。クラゲに刺された時の痺れるような痛みではないと。間もなくその正体が明らかになった。蟹だった。それはやや大きめのコッペパンくらいのサイズで、鋏を振りかざして仁王立ちになっている。人間を恐れるどころか、ひるむことなく立ち向かってくる。

「この野郎!」

アランはその蟹めがけて水中に飛び込んだ。躍起になればなるほど砂ぼこりが舞うので、探索はますます難しくなる。彼はその日の午後いっぱいを蟹の捕獲に費やしたが、とうとう見つからなかった。

 後で調べたところ、それはどうやら渡り蟹だったようだ。フランス語では「クラブ・ブルー」(crabe bleu)と言い、「青い蟹」の意味である。 

「本当に生意気な蟹だったな。捕まえて食べてやろうと思ったのに」

その日の夕食の際、アランは悔しそうに言った。グザビエは何も言わず静かにグラスを傾けている。彼は日頃から口数が少なく、無駄なおしゃべりをしないのだ。

沈黙が星のように降ってくる。聞こえてくるのは、低音で流れているオーティス・レディングの歌声とこおろぎだけだ。日頃おしゃべりなアランも口を閉ざす。

「家に戻る頃にはずいぶん涼しくなっているだろうな」としばらくしてアランが言う。

夏が好きなグザビエはやや不服そうに言う。

「ここ数年は、秋といっても暖かい天気が続いている。今年もきっとそうなるだろうよ」

そのような穏やかな秋の気候のことを「インディアン・サマー」と呼ぶのだそうだ。

 夕食が終わると、私たちは浜辺に散歩しに行った。ベンチに腰かけ、持参した小型スピーカーで音楽を聴いた。夜風が涼やかに吹き、空には星が瞬いていた。それは街では見られない種類の純粋な輝きだった。ひとつひとつの星が物語を語っているように見えた。

 

   

 タラールに戻ってからも躰の奥に波のリズムが漂っていて、それはしばらく消えなかった。午睡をすると白い泡の中に引き込まれるように眠り、目覚めると自分がどこにいるのかわからなくなった。コルシカ島の海は、まるで過去の恋人の亡霊のように私を抱きとめて離してくれなかった。

 散歩に出かけると、水色の空にすじ雲が浮かんでいた。透明な陽射しの中を、人々がおしゃべりしながら楽し気に歩いていた。グザビエの言った通り、今年もまたインディアン・サマーになりそうだ。